

ペットの介護―もう無理って思う日がある
毎日の投薬、通院、夜中のお世話。 愛しているからこそ、こころも体力も、少しずつ削られていく。 「もう無理」と思いながら、それでも続ける。 そんな日が、重なっていないでしょうか。 終わりの見えないケアが続くなかで、気づかないうちに限界を迎えていることは少なくありません。 「もう無理だ」と思う日があっても、翌朝にはまた、いつも通りの介護が始まってしまう。 その繰り返しのなかで、心身の疲労は確実に蓄積していきます。 ■ 「もう無理」は、あきらめじゃない 「もう無理」と思ってしまう自分を、責める必要はありません。 その言葉は、決して投げやりになったわけでも、愛情が薄れたわけでもありません。 これまで限界まで頑張り、向き合ってきた事実そのものです。 介護に疲れてしまうのは、それだけ真剣にその子のお世話をしてきたからに他なりません。 ■ 無理を続けることが「愛」じゃない 限界を感じているとき、「もっと頑張らなければ」と自分を追い詰めがちです。 でも、心身をすり減らしながら無理を続けることだけが、愛情の証明にはなりません。 今の状態に合わせて、やり方を見直すこ


最期を看取れなかった後悔―おすぎが教えてくれたこと
あの子の最期に、そばにいられなかった。 それが、ずっと心に引っかかっている。 どうしてあのとき、もっと早く帰らなかったんだろう。 どうして、あの夜寝てしまったんだろう。 何度も「ごめんね」と思って、あの子のぬくもりを思い出しては、胸が痛くなる。 ■ 看取れなかった後悔は、愛していた証 ペットを看取れなかったとき、多くの人が自分を責める。 「もっとそばにいてあげればよかった」 「なぜあの瞬間に気づけなかったのか」 でも、その後悔の深さは、それだけあの子を愛していたということだ。 後悔がある人ほど、精一杯向き合ってきた人だと思う。 ■ あなたのいないときを選んだのかもしれない おすぎさんが16歳で旅立ったとき、そばにいられなかった。 後から、友人にこう言ってもらった。 「きっと姉さんを心配させたくなかったんだよ」と。 その言葉に、ずっと張り詰めていたものが、少しだけほどけた気がした。 もしかしたら、あの子は心配させまいとして、あなたのいないときを選んだのかもしれない。 あなたが泣く顔を見たくなくて、静かに、自分のタイミングで旅立ったのかもしれない。.

