ノンバイナリー 女でも男でもない、じゃあ何?――言葉が追いついた日
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更新日:20 時間前
私が若い頃には、「ノンバイナリー」なんて言葉はなかった。
アロマンティックも、Xジェンダーも、LGBTQという枠組みすら一般的じゃなかった。
だから私は、自分をどこかに分類しようなんて考えたこともなかった。
ただ、ずっと「なんか違うんだよな」という感覚だけは、身体のなかにあった。
今でいう「性別に違和感がある」という状態だったのかもしれない。

「女」として扱われることへの、理屈抜きの拒絶
水商売をしていた時期もある。
仕事と割り切ってはいたけれど、お客さんに言い寄られると反射的に「キモっ」と思ってしまう。
相手がどうこうじゃない。
「女」として扱われることそのものが、どうしても受け入れられなかった。
これは単なる好き嫌いではなく、「性別に違和感がある人」によくある感覚なのかもしれない。
「男になりたいの?」というズレた問い
当時の世の中で「女に見られるのが嫌なんだよね」と言えば、返ってくるのは決まった一言。
「じゃあ男になりたいの?」
いや、それも違う。
男になりたいわけでもない。
女でもない、男でもない。
じゃあ何なのか。
その答えが、当時の世界にはまだ用意されていなかった。
ノンバイナリーという言葉に後から出会った
時代が進んで「ノンバイナリー」という言葉に出会ったとき、私は「ああ、これか」と思った。
でも、私は後からそのカテゴリーに飛び込んだわけじゃない。
もともとそうだった自分に、ようやく名前が追いついてきただけだ。
結局のところ「人間でよくね?」でやってきた
自分を説明する言葉がない時代を生きていたから、私は自分を定義することを諦めた。
むしろ「男でも女でもない」という悩みより、「人間でよくね?」という、もっと雑で、もっと確かな肯定感のほうが強かった。
性別なんていう狭い枠組みよりも、自分という存在が先にあった。
これは「ノンバイナリーかどうか分からない」と悩んでいる人にも通じる感覚かもしれない。
カテゴリーのその先へ
今の時代、カテゴリーがあることで救われる人もいるだろう。
けれど、私は言葉がなかった時代を、そのまんまの自分で生きてきた。
「隠さなかった」というより「隠す概念すら持たずに、人間として生きてきた」だけだ。
性別を説明する責任なんて、最初からない。
理解されなくても、自分はここにいる。
もし今、何かの枠に当てはまらなくて苦しんでいる人がいるなら、少しだけ思い出してほしい。
ノンバイナリーとか、Xジェンダーとか、そういう言葉の前に
「人間でよくね?」
案外、それでなんとかなるし、そのほうがずっと楽だ。

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