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ノンバイナリー 女でも男でもない、じゃあ何?――言葉が追いついた日

  • 1 日前
  • 読了時間: 3分

更新日:20 時間前


私が若い頃には、「ノンバイナリー」なんて言葉はなかった。

アロマンティックも、Xジェンダーも、LGBTQという枠組みすら一般的じゃなかった。

だから私は、自分をどこかに分類しようなんて考えたこともなかった。

ただ、ずっと「なんか違うんだよな」という感覚だけは、身体のなかにあった。

今でいう「性別に違和感がある」という状態だったのかもしれない。


海辺に座るひと

「女」として扱われることへの、理屈抜きの拒絶

水商売をしていた時期もある。

仕事と割り切ってはいたけれど、お客さんに言い寄られると反射的に「キモっ」と思ってしまう。

相手がどうこうじゃない。

「女」として扱われることそのものが、どうしても受け入れられなかった。

これは単なる好き嫌いではなく、「性別に違和感がある人」によくある感覚なのかもしれない。



「男になりたいの?」というズレた問い

当時の世の中で「女に見られるのが嫌なんだよね」と言えば、返ってくるのは決まった一言。

「じゃあ男になりたいの?」

いや、それも違う。

男になりたいわけでもない。

女でもない、男でもない。

じゃあ何なのか。

その答えが、当時の世界にはまだ用意されていなかった。



ノンバイナリーという言葉に後から出会った

時代が進んで「ノンバイナリー」という言葉に出会ったとき、私は「ああ、これか」と思った。

でも、私は後からそのカテゴリーに飛び込んだわけじゃない。

もともとそうだった自分に、ようやく名前が追いついてきただけだ。



結局のところ「人間でよくね?」でやってきた

自分を説明する言葉がない時代を生きていたから、私は自分を定義することを諦めた。

むしろ「男でも女でもない」という悩みより、「人間でよくね?」という、もっと雑で、もっと確かな肯定感のほうが強かった。

性別なんていう狭い枠組みよりも、自分という存在が先にあった。

これは「ノンバイナリーかどうか分からない」と悩んでいる人にも通じる感覚かもしれない。



カテゴリーのその先へ

今の時代、カテゴリーがあることで救われる人もいるだろう。

けれど、私は言葉がなかった時代を、そのまんまの自分で生きてきた。

「隠さなかった」というより「隠す概念すら持たずに、人間として生きてきた」だけだ。

性別を説明する責任なんて、最初からない。

理解されなくても、自分はここにいる。

もし今、何かの枠に当てはまらなくて苦しんでいる人がいるなら、少しだけ思い出してほしい。

ノンバイナリーとか、Xジェンダーとか、そういう言葉の前に

「人間でよくね?」

案外、それでなんとかなるし、そのほうがずっと楽だ。


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