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ペットの看取りで「正解」を探してしまうとき

  • 6 日前
  • 読了時間: 2分

正解を探してしまうとき

最期の時間をどう過ごすか。

その問いに向き合ったとき、人はどうしても「正解」を探してしまう。

治療を続けるべきだったのか。

それとも、何もしない方がよかったのか。

どちらを選んでも、あとから考えてしまう。

「あのとき、別の選択をしていたら」と。


YES/NOカード


一つの考え方だけが広がっていく怖さ

最近、「無理な治療はしない方がいい」という考え方を目にすることが増えている。

もちろん、それ自体が間違いとは思わない。

ただ、それだけが“正解”のように広がってしまうことには、少し怖さも感じる。

命の終わり方は、本来もっと個別で、一つにまとめられるものではないはずだからだ。



選択の反対側に、答えを置いてしまうことがある

病院で最期を迎えたあとに、「通院させなければよかったのではないか」と感じる人もいる。

反対に、家で見守ったあとに「もっとできたことがあったのでは」と思う人もいる。

人は強い後悔を感じたとき、その反対側に「本当の正解」があったように思えてしまうことがある。

でも実際は、どちらか一方が正しいと決められるものではない。

そのときの状況の中で、その子のことを考えて選んだ時間があったはずだからだ。



「何もしない」がすべて正しいわけではない

一方で、少し立ち止まって考えたいこともある。

医療的にできることがあるのに、最初から何もしないと決めてしまう選択。

経済的な事情や考え方は人それぞれある。

だからこそ、外から簡単に否定できるものではない。

ただ、ペットの体調や苦痛という視点で見たとき、本来減らせたはずの苦しさが残ってしまうケースもある。

そのときに、「後悔がないからそれでいい」と言い切ってしまっていいのか。

そこには、少し慎重でいたいとも感じる。



大切なのは「正解」ではなく、向き合い方

どんな選択にも、理由がある。

そして多くの場合、それは「その子のために」と考えた結果のはずだ。

だからこそ、どちらか一方を正解として決めつけるのではなく、

そのときどう向き合っていたか、どれだけ考えていたか。

そこに目を向けることの方が、ずっと大切なのかもしれない。


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