top of page


ペットの看取りで「正解」を探してしまうとき
正解を探してしまうとき 最期の時間をどう過ごすか。 その問いに向き合ったとき、人はどうしても「正解」を探してしまう。 治療を続けるべきだったのか。 それとも、何もしない方がよかったのか。 どちらを選んでも、あとから考えてしまう。 「あのとき、別の選択をしていたら」と。 一つの考え方だけが広がっていく怖さ 最近、「無理な治療はしない方がいい」という考え方を目にすることが増えている。 もちろん、それ自体が間違いとは思わない。 ただ、それだけが“正解”のように広がってしまうことには、少し怖さも感じる。 命の終わり方は、本来もっと個別で、一つにまとめられるものではないはずだからだ。 選択の反対側に、答えを置いてしまうことがある 病院で最期を迎えたあとに、「通院させなければよかったのではないか」と感じる人もいる。 反対に、家で見守ったあとに「もっとできたことがあったのでは」と思う人もいる。 人は強い後悔を感じたとき、その反対側に「本当の正解」があったように思えてしまうことがある。 でも実際は、どちらか一方が正しいと決められるものではない。...


しっぽちゃんが教えてくれたこと。
「あのときこうしていれば」 「もっとそばにいてあげれば」 「もっと早く気づいてあげれば」 あの選択は正しかったのか。 後悔は、愛していた証だ。 でも、後悔だけで終わらせなくていい。 失ったものばかりが見える 周りの時間は流れているのに、自分の時計は止まったように感じる。 今まで好きだった料理も、おいしいと感じない。 寝るのが大好きだったのに、眠れない。 ペットを失ったとき、世界から色が消えたように感じる。 ごはんの準備をしようとして、気づく。 散歩の時間になって、気づく。 ふと名前を呼んで、もういないんだと気づく。 日常のあちこちに、あの子がいた。 そのたびに、こころが痛くなる。 あの子が遺してくれたもの 悲しみの中にいるとき、得られたものを思い出すのは難しい。 でも少しだけ、立ち止まって振り返ってみてほしい。 あの子がいたから、朝早く起きるようになった。 あの子がいたから、誰かに話しかけるようになった。 あの子がいたから、泣けるようになった。 しっぽちゃんは、あなたの中に何かを遺していった。 あの子が変えてくれたあなたは、ここにいる あの子


最期を看取れなかった。それでも、あの子は伝えていた。
あの子の最期に、そばにいられなかった。 それが、ずっと心に引っかかっている。 どうしてあのとき、もっと早く帰らなかったんだろう。 どうして、あの瞬間に気づけなかったんだろう。 何度も「ごめんね」と思って、あの子のぬくもりを思い出しては、胸が痛くなる。 看取れなかった後悔は、愛していた証 ペットを看取れなかったとき、多くの人が自分を責める。 「もっとそばにいてあげればよかった」「なぜあの瞬間に気づけなかったのか」と。 でも、その後悔の深さは、それだけあの子を愛していたということだ。 後悔がある人ほど、精一杯向き合ってきた人だと思う。 あなたのいないときを選んだのかもしれない おすぎさんが16歳で旅立ったとき、そばにいられなかった。 後から、友人にこう言ってもらった。 「きっと姉さんを心配させたくなかったんだよ」と。 その言葉に、ずっと張り詰めていたものが、少しだけほどけた気がした。 もしかしたら、あの子は心配させまいとして、あなたのいないときを選んだのかもしれない。 あなたが泣く顔を見たくなくて、静かに、自分のタイミングで旅立ったのかもしれない。.
bottom of page
