

ペットの看取り―正解を探してしまうとき
最期の時間をどう過ごすか。 その問いに向き合ったとき、人はどうしても「正解」を探してしまいます。 治療を続けるべきか。 それとも、何もしない方がいいのか。 どちらを選んでも、あとから考えてしまう。 「あのとき、別の選択をしていたら」と。 ■ 一つの考え方だけが広がっていく怖さ 最近、「無理な治療はしない方がいい」という考え方を目にすることが増えています。 もちろん、それ自体が間違いとは思いません。 ただ、それだけが正解のように広がってしまうことに、怖さも感じています。 命の終わり方は、本来もっと個別で、一つにまとめられるものではないはずだから。 ■ 選択の反対側に、答えを置いてしまうことがある 病院で最期を迎えたあとに、「通院させなければよかったのではないか」と感じる人もいる。 反対に、家で看取ったったあとに、「もっとできたことがあったのでは」と思う人もいる。 人は強い後悔を感じたとき、その反対側に「本当の正解」があったように思えてしまうことがあります。 でも実際は、どちらか一方が正しいと決められるものではないのです。 そのときの状況の中で、その


最期を看取れなかった後悔―おすぎが教えてくれたこと
あの子の最期に、そばにいられなかった。 それが、ずっと心に引っかかっている。 どうしてあのとき、もっと早く帰らなかったんだろう。 どうして、あの夜寝てしまったんだろう。 何度も「ごめんね」と思って、あの子のぬくもりを思い出しては、胸が痛くなる。 ■ 看取れなかった後悔は、愛していた証 ペットを看取れなかったとき、多くの人が自分を責める。 「もっとそばにいてあげればよかった」 「なぜあの瞬間に気づけなかったのか」 でも、その後悔の深さは、それだけあの子を愛していたということだ。 後悔がある人ほど、精一杯向き合ってきた人だと思う。 ■ あなたのいないときを選んだのかもしれない おすぎさんが16歳で旅立ったとき、そばにいられなかった。 後から、友人にこう言ってもらった。 「きっと姉さんを心配させたくなかったんだよ」と。 その言葉に、ずっと張り詰めていたものが、少しだけほどけた気がした。 もしかしたら、あの子は心配させまいとして、あなたのいないときを選んだのかもしれない。 あなたが泣く顔を見たくなくて、静かに、自分のタイミングで旅立ったのかもしれない。.

