

遊びに行ってもいい?―亡くした子へ罪悪感を抱いてしまうとき
「遊びに行ってもいいかな?」 ペットを亡くしたあと、誘われた予定や楽しみにしていた計画を前に、そう迷うことがあります。 笑っていいのかな。 楽しんでいいのかな。 あの子がいなくなったばかりなのに、自分だけ遊ぶなんて……。 そんな罪悪感から、予定を断ってしまう人もいるかもしれません。 ■ 自分の心に問いかけてみよう 「遊びに行ってもいい?」と自問するということは、本当は「行きたい」と思っている証拠かもしれません。 遊びに行くこと=悪いことではありません。 あなたが笑ったからといって、あの子と過ごした時間が消えるわけではないのですから。 ■ 楽しむことは、忘れることではない 「楽しく過ごしたら、あの子を忘れてしまうのでは」と不安になることもあるでしょう。 けれど、名前を呼んだこと、そばにいてくれたこと、触れたぬくもり― そうした日々は消えません。 笑うこと、話すこと、美味しいものを食べること。 それらは少しずつ日常を取り戻す歩みであり、あの子との思い出を置き去りにすることとは違います。 あなたが戻る日常は、あの子がいた日々のその先にあるのです。 ■.


ペットロス―ほっとする自分を責めてしまうとき
ペットとの別れは、悲しみだけで終わるとはかぎりません。 こころのどこかに、言葉にしづらい感情が混ざることがあります。 たとえば、長い間行方がわからなかったとき。 どうなったのか想像するしかない時間が続いたとき。 過酷な闘病生活が続いたとき。 人は、ずっと張りつめたままでいることはできません。 だからある瞬間、ふっと息をつくような感覚が生まれることがあります。 「あの子は自分の意思で出て行ったんだ」 「外で楽しくやっているだろう」 「看病疲れから解放されてよかった」 けれどその直後、別の感情が胸の奥で動き出します。 「ほっとしてしまった自分は冷たいのではないか」 そんな思いが、静かに自分を責めはじめるのです。 ■ 罪悪感は、愛情の裏側に生まれる 大切な存在に何かが起きたとき、人は出来事そのものよりも、自分の行動や判断を何度も振り返ります。 あのとき確認していれば。 もっと気をつけていれば。 自分が違う行動をしていたら。 そうやって、終わった出来事の中に何度も戻ってしまいます。 でも、その繰り返しは「無関心だった人」には起きません。 罪悪感は、それだ

