top of page


SNSで心がざわつく理由
最近、SNSを開くのが少し重くなっていないだろうか。 誰かの投稿を見て、何かが刺さる。 理由はわからない。 でも胸の奥だけがざわつく。 そのざわつきの正体 楽しそうな写真。 仕事の報告。 誰かのキラキラした日常。 それを見て動くのは、怒りでも悲しみでもない。 もっと静かで、もっと個人的な何かだ。 妬み。嫉み。 「自分だけ停滞している」という感覚。 名前をつけたくない感情ほど、よく動く。 そしてそれは他人のせいじゃなく、自分の内側で勝手に増幅される。 疲れているのは、SNSではなく自分の声 通知を切っても、アプリを消しても、そのざわつきは消えない。 なぜなら、疲れの震源は画面の向こうではなく、それを見たときに動く自分の声のほうだから。 自己肯定感が落ちているとき、SNSはそこを何度も何度も刺してくる。 疲れるのは当然だ。 その感情を、すぐ捨てなくていい 嫉妬は、消すものじゃない。 もしその感情が、自分を少しでも前に動かしてくれたのなら。 きれいになりたいと思えた。 生活を変えたいと思えた。 何かを始めるきっかけになった。 そうやって得られたものがあ


完璧にやらなきゃ、といつも思ってしまう。
ミスしたくない。 誰にも迷惑をかけたくない。 ちゃんとしていたい。 そう思いながら、「もうちょっとだけ」「まだ足りないかも」と積み重ねていく。 気づいたときには、ぐったりしている。 その「ちゃんと」は、鎧だったりする 完璧を目指すのは、まわりへの思いやりだけじゃない。 「ちゃんとしていれば、自分を責めなくて済む」という、自分を守るための鎧だったりする。 だから疲れるのは当たり前だ。 苦しくなるのも、当然だ。 鎧を着たまま走り続けているんだから。 完璧を目指すあなたは、それだけ真剣にまわりを大切にしている。 その姿勢は誇っていい。 でも、鎧を着続けることが、あなたを守ることにはならない。 「まあいいか、これで十分 」 完璧じゃないと落ち着かないとき、こころの中でそっとつぶやいてみてほしい。 「まあいいか、これで十分」 あきらめじゃない。 自分をゆるすための、やさしい呪文だ。 「もうちょっとだけ」ではなく「これで十分」と言えたとき、少しずつこころの力が抜けていく。 完璧じゃなくても、あなたはもう十分すぎるほど頑張ってる 完璧にできなかった日があってい


ぐったりするのは、甘えじゃない。
動けない朝がある。 何もしたくない日がある。 理由もわからないのに、ただただしんどい。 そういうとき、「甘えてるんじゃないか」「なんでこんなことで」と自分を責めてしまうことはないだろうか。 ぐったりするのには、ちゃんと理由がある まわりに気を配って、空気を読んで、誰よりもやさしく接してきた。 その積み重ねが、知らないうちにこころをすり減らしていく。 動けない日があるのは、それだけ誰かを大切にしてきた証拠だ。 がんばってきた結果が、今のぐったりとして出ているだけ。 甘えとは、まったく違う。 「がんばった証拠」に気づいたら、次のステップ ぐったりの正体がわかったら、次は「がんばらない工夫」を少しだけ試してみてほしい。 返事を明日にする。 気を遣う相手と、少し距離をとる。 「今日は無理」と言葉にしてみる。 どれかひとつでいい。 全部やらなくていい。 やさしさを守るには、自分のエネルギーを守ることが必要だ。 あなたのやさしさが続くように、まずあなたが、あなたにやさしくしてあげてほしい。 「しんどい」を誰かに話すだけで、楽になることがある...
bottom of page
